樹木葬墓所のツツジが見ごろ お参りにくるなら今❕
北斗霊園には、樹木葬墓所が2種類あります。ひとつは、4平方メートルの土地に、墓石の代わりに大きくならない樹木を植えるものです。こちらの方が古くからあります。
もうひとつは、新樹木葬墓所といって、「湿原の丘」という名前もついています。こちらは一人分が80センチ四方のスペースで、それが200から300くらいがあつまってひとつの墓所となっています。一面の緑の芝生のうえに、納骨された方たちの名前を刻んだ、ミニ墓石が置かれます。永代管理、永代供養つきということで、承継される方のいない場合などに人気があります。
ふるくからの樹木葬の方は実はすべて売却済みです。いろいろご都合があって返還されたものがいくつか残っています。
この季節、みなさんが植えられたツツジなどの低木が一斉に咲いて、とてもきれいになっています。
お彼岸でもなくお盆でもなく、命日でもなければお参りに来られる事はないかもしれません。 しかし、理由がなくお参りに来るのがダメっていうルールはありません。今は、ツツジなどのお花の見ごろです。コロナウイルスによる外出抑制もおわりました。ご先祖に元気なところを見せるお参りはいかがでしょうか。
ウグイスもホーホケキョと鳴いていますよ。

さて、霊園の中を見回っていると、いろいろな発見があります。
この北斗霊園は昭和55年1980年の開園です。今年で40年目となります。ですから、どの墓所も40年以内に建てられたものです。しかし、時々、とても古い墓石に出会います。これは、他の墓所から移転してきた墓石なんだろうと思います。特に管理事務所の西側の背後の区域は、かって釧路市にあった鳥取墓所から移転してきた区域で、古い墓石も目につきます。
そこで一つの墓を見つけました。陸軍上等兵○○の墓となっています。昭和14年に23歳で中国で戦死されたようです。
となりにもうひとつ墓がたっています。たぶん、ご両親や兄弟などのご家族の墓だと思います。建立されたのは、ずっとあとのようです。
亡くなられた方はやさしい頼りになるお兄さんだったんだろうなと思います。戦死されて何十年たっても大事にされ、ご家族の誇りとなっているのでしょうね。
もうひとつ、陸軍軍曹○○の墓というものも発見しました。こちらは昭和20年に沖縄で戦死されたようです。
やはり24歳の若さで亡くなられています。
若くして家族を亡くされ、それぞれのお墓を作られたご家族の心情を思うとなんともいえない思いになります。
しかし、戦後75年、あの世で家族が再会しているころかもしれませんね。
もうひとつは、新樹木葬墓所といって、「湿原の丘」という名前もついています。こちらは一人分が80センチ四方のスペースで、それが200から300くらいがあつまってひとつの墓所となっています。一面の緑の芝生のうえに、納骨された方たちの名前を刻んだ、ミニ墓石が置かれます。永代管理、永代供養つきということで、承継される方のいない場合などに人気があります。
ふるくからの樹木葬の方は実はすべて売却済みです。いろいろご都合があって返還されたものがいくつか残っています。
この季節、みなさんが植えられたツツジなどの低木が一斉に咲いて、とてもきれいになっています。
お彼岸でもなくお盆でもなく、命日でもなければお参りに来られる事はないかもしれません。 しかし、理由がなくお参りに来るのがダメっていうルールはありません。今は、ツツジなどのお花の見ごろです。コロナウイルスによる外出抑制もおわりました。ご先祖に元気なところを見せるお参りはいかがでしょうか。
ウグイスもホーホケキョと鳴いていますよ。

さて、霊園の中を見回っていると、いろいろな発見があります。
この北斗霊園は昭和55年1980年の開園です。今年で40年目となります。ですから、どの墓所も40年以内に建てられたものです。しかし、時々、とても古い墓石に出会います。これは、他の墓所から移転してきた墓石なんだろうと思います。特に管理事務所の西側の背後の区域は、かって釧路市にあった鳥取墓所から移転してきた区域で、古い墓石も目につきます。
そこで一つの墓を見つけました。陸軍上等兵○○の墓となっています。昭和14年に23歳で中国で戦死されたようです。
となりにもうひとつ墓がたっています。たぶん、ご両親や兄弟などのご家族の墓だと思います。建立されたのは、ずっとあとのようです。
亡くなられた方はやさしい頼りになるお兄さんだったんだろうなと思います。戦死されて何十年たっても大事にされ、ご家族の誇りとなっているのでしょうね。
もうひとつ、陸軍軍曹○○の墓というものも発見しました。こちらは昭和20年に沖縄で戦死されたようです。
やはり24歳の若さで亡くなられています。
若くして家族を亡くされ、それぞれのお墓を作られたご家族の心情を思うとなんともいえない思いになります。
しかし、戦後75年、あの世で家族が再会しているころかもしれませんね。
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